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富山記念の初日は温泉好きのK記者とともに仕事が終わってから金太郎温泉と言うところにいってきました。この金太郎温泉とは名前がへんてこな感じですがとてもいい温泉です。
富山駅からは普通電車で約15分くらい行ったところに魚津という駅があります。さらにここから車で10分くらいの場所に金太郎温泉はあります。周りには何もなく(田んぼかせいぜい民家がある程度)静かなところに光風閣が建っています。
さっそく目当ての風呂に入ってみます。風呂場に近づくにつれて硫黄の匂いがしてきます。ほのかな硫黄の匂いはとてもいいものです。硫黄泉なのでお湯が酸っぱいと思っていたのですが、これが違う。普通は硫黄泉となると酸性が強いものが多いのですが、ここの湯は酸性ではありません。
すっぱいどころかしょっぱかったのには驚きました。要は硫化水素型硫黄泉でもあるうえに塩化物泉でもあるということ。日本中を探しても滅多にない泉質であることは確かだと思います。また飲泉も可能なので試しにちょっと飲んでみましたが、これが本当まずい!最悪の味でした。体にはいいと言いますがこれには・・・。泉温も73度以上と高温泉で素晴らしいお湯です。
富山県にはたくさんの温泉が湧いていますがここはちょっと変わった温泉でした。興味のある方は一度行ってみてはいかがでしょうか?
富山駅からは普通電車で約15分くらい行ったところに魚津という駅があります。さらにここから車で10分くらいの場所に金太郎温泉はあります。周りには何もなく(田んぼかせいぜい民家がある程度)静かなところに光風閣が建っています。
さっそく目当ての風呂に入ってみます。風呂場に近づくにつれて硫黄の匂いがしてきます。ほのかな硫黄の匂いはとてもいいものです。硫黄泉なのでお湯が酸っぱいと思っていたのですが、これが違う。普通は硫黄泉となると酸性が強いものが多いのですが、ここの湯は酸性ではありません。
すっぱいどころかしょっぱかったのには驚きました。要は硫化水素型硫黄泉でもあるうえに塩化物泉でもあるということ。日本中を探しても滅多にない泉質であることは確かだと思います。また飲泉も可能なので試しにちょっと飲んでみましたが、これが本当まずい!最悪の味でした。体にはいいと言いますがこれには・・・。泉温も73度以上と高温泉で素晴らしいお湯です。
富山県にはたくさんの温泉が湧いていますがここはちょっと変わった温泉でした。興味のある方は一度行ってみてはいかがでしょうか?
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富山競輪場には駅から車に乗って約20~30分くらいとなります。交通状況によっては若干時間がかかる場合があります。しかし、時間にピッタリ着くことができるのが電車です。競輪場の前に小さな駅があります。ここは富山ライトレールという路面電車の駅(その名も競輪場前)で、時間帯にもよりますが約15分に一本電車がきます。元々はJR富山港線という線(営業距離は約8キロちょっと)で以前は駅はここにはなく電車が通っていただけだったようです。今では2両編成の電車がひっきりなしに停まっていくのでこれにのって来るお客さんも結構いるようです。ちなみに駅は富山北(駅前)が始発で岩瀬浜と言うところまで行ってます。駅からは約20分くらいで競輪場に着くことができます。料金は現金で200円で関東で言うところのスイカやパスモのようなカード(パスカ)を使うと160円と大変安く乗ることができます。車内もひろくとても綺麗なので快適です。旅打ち等で富山に行った際は一回使ってみてはどうでしょうか。
小倉ナイターが始まるまでは時間があったので仕事前に数人の記者同士でちょっとした観光をすることになりました。小倉からは電車に乗って門司港駅まで移動します。そこからは山口県の唐戸と言う所まで船が出ているので、それに乗って山口県に向かいます。ちょうど山口の唐戸に到着するころにはお昼となっていました。ここで新鮮なお寿司を食べてまずは腹ごしらえ!平日にも関わらずたくさんの人がこの市場に来ていて食堂内は大変な混雑。案内されるまで結構待たされました。しかし、新鮮なネタでとても美味しく頂けました。
さて、昼食後はバスで長府という所まで移動します。この長府は長門国の国府が置かれ古代からこの地方の政治の中心地でもありました。慶長7年(1602年)に毛利元就の孫の毛利秀元が入府して長府毛利5万石の城下町として栄えた所です。土壁や長屋門などの武家屋敷の遺構が当時の風情を今に伝えています。
城下町の中心的建造物として『長府毛利邸』があります。ここは長府毛利家の14代当主の毛利元敏公が東京から長府に帰住し、この地を選んで建てた邸宅で、明治31年(1898)に起工し、明治36年6月に完成。大正8年(1919)まで長府毛利邸の本邸として使用されていました。その間、明治35年11月には明治天皇が熊本で行われた陸軍大演習を視察する際に行在所として使用しました。
邸内にある庭園は池泉回遊式で苔・石・楓・灯籠等の配置の妙は新緑や紅葉の季節には一段と映えるそうです。しっとりとした庭園を暫し眺めて気持ちが穏やかになりました。ちょっとした時間でもとても落ち着ける場所です。ちなみにお茶なども用意してくれるようで、試してみるのもいいかもしれません。
さて、昼食後はバスで長府という所まで移動します。この長府は長門国の国府が置かれ古代からこの地方の政治の中心地でもありました。慶長7年(1602年)に毛利元就の孫の毛利秀元が入府して長府毛利5万石の城下町として栄えた所です。土壁や長屋門などの武家屋敷の遺構が当時の風情を今に伝えています。
城下町の中心的建造物として『長府毛利邸』があります。ここは長府毛利家の14代当主の毛利元敏公が東京から長府に帰住し、この地を選んで建てた邸宅で、明治31年(1898)に起工し、明治36年6月に完成。大正8年(1919)まで長府毛利邸の本邸として使用されていました。その間、明治35年11月には明治天皇が熊本で行われた陸軍大演習を視察する際に行在所として使用しました。
邸内にある庭園は池泉回遊式で苔・石・楓・灯籠等の配置の妙は新緑や紅葉の季節には一段と映えるそうです。しっとりとした庭園を暫し眺めて気持ちが穏やかになりました。ちょっとした時間でもとても落ち着ける場所です。ちなみにお茶なども用意してくれるようで、試してみるのもいいかもしれません。