小倉ナイターが始まるまでは時間があったので仕事前に数人の記者同士でちょっとした観光をすることになりました。小倉からは電車に乗って門司港駅まで移動します。そこからは山口県の唐戸と言う所まで船が出ているので、それに乗って山口県に向かいます。ちょうど山口の唐戸に到着するころにはお昼となっていました。ここで新鮮なお寿司を食べてまずは腹ごしらえ!平日にも関わらずたくさんの人がこの市場に来ていて食堂内は大変な混雑。案内されるまで結構待たされました。しかし、新鮮なネタでとても美味しく頂けました。
さて、昼食後はバスで長府という所まで移動します。この長府は長門国の国府が置かれ古代からこの地方の政治の中心地でもありました。慶長7年(1602年)に毛利元就の孫の毛利秀元が入府して長府毛利5万石の城下町として栄えた所です。土壁や長屋門などの武家屋敷の遺構が当時の風情を今に伝えています。
城下町の中心的建造物として『長府毛利邸』があります。ここは長府毛利家の14代当主の毛利元敏公が東京から長府に帰住し、この地を選んで建てた邸宅で、明治31年(1898)に起工し、明治36年6月に完成。大正8年(1919)まで長府毛利邸の本邸として使用されていました。その間、明治35年11月には明治天皇が熊本で行われた陸軍大演習を視察する際に行在所として使用しました。
邸内にある庭園は池泉回遊式で苔・石・楓・灯籠等の配置の妙は新緑や紅葉の季節には一段と映えるそうです。しっとりとした庭園を暫し眺めて気持ちが穏やかになりました。ちょっとした時間でもとても落ち着ける場所です。ちなみにお茶なども用意してくれるようで、試してみるのもいいかもしれません。
さて、昼食後はバスで長府という所まで移動します。この長府は長門国の国府が置かれ古代からこの地方の政治の中心地でもありました。慶長7年(1602年)に毛利元就の孫の毛利秀元が入府して長府毛利5万石の城下町として栄えた所です。土壁や長屋門などの武家屋敷の遺構が当時の風情を今に伝えています。
城下町の中心的建造物として『長府毛利邸』があります。ここは長府毛利家の14代当主の毛利元敏公が東京から長府に帰住し、この地を選んで建てた邸宅で、明治31年(1898)に起工し、明治36年6月に完成。大正8年(1919)まで長府毛利邸の本邸として使用されていました。その間、明治35年11月には明治天皇が熊本で行われた陸軍大演習を視察する際に行在所として使用しました。
邸内にある庭園は池泉回遊式で苔・石・楓・灯籠等の配置の妙は新緑や紅葉の季節には一段と映えるそうです。しっとりとした庭園を暫し眺めて気持ちが穏やかになりました。ちょっとした時間でもとても落ち着ける場所です。ちなみにお茶なども用意してくれるようで、試してみるのもいいかもしれません。
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