本日は南三陸町にボランティアに行ってきました。三陸町のボランティアセンターは高台にありここは被災していません。ボランティア参加者は朝の9時に集合とのことでしたので、多少早めに登米を出発。途中でコンビニに立ち寄り昼食を購入(原則全て自分の水やも食料は自分で用意)。集合時間の30分前に到着しました。
今日は日曜ということもあって、朝からたくさんのボランティアが受け付けをやっていて、テントの外まで人の長い列ができていました。ひととおり受付(住所や連絡先、血液型の記入。保険の加入なでもやってくれます)が終わると、センターの人が「力がいる仕事がいい方~」とか「どこどの仕分けをがいい方~」と声をかけてくれます。
自分は何もスキルがないので、がれきや家財道具を被災宅から運び出す仕事(力がいる仕事)を選び南三陸町の荒砥(あらと)地区ということに派遣されることとなりました。この地区は小さな漁港。数件の民宿や民家がある小さな集落です。しかし、今回の津波でほぼ8割りちかくの民家が大きな被害を受けたところでした。今回行った民家も高台にあるのですが、津波が1階部分を襲い全て水浸しとなったところでした。
この家に派遣されたボランティアの数は全部で10数人。庭に出されている畳や冷蔵庫、台所にあるシンクなどを高台の下に移動して燃えるゴミや燃えないゴミに分別して分ける作業をやりました。水を吸った畳や座布団はとても重く下までの何往復かで汗が噴き出てきました。さらに午後は気温がかなり上昇して厳しさに拍車をかけます。最初はボランティア同士の会話はあまりなかったのですが、一緒に作業しているとあっという間に友達のようになってしゃべれるようになります。いろいろ話をしながらの作業は結構たのしいものでした。
昼食時は1時間の休憩。その時に民家の方が今回の津波のことをいろいろと話してくれました。「11日の地震の前に9日にも地震(最近では前震だと言われいる)があったんです。その時にこの地区にも津波警報が出て避難した人も多かった。でも実際に津波らしい津波はこなくて、みんなが『多分、大丈夫だ』と本震の前に油断してしまったのが大きかったのではないかと思う」。ちなみにこの地区には地震発生後30分で津波が到着。約20数メートルの波が押し寄せて来たそうです。家主は志津川(南三陸町の中心地)の病院にいて津波を体験したそうです。津波についてもこう教えてくれました。「津波は映画などで見るみたいに波が高くなって飲み込むイメージがあると思いますが、本当の津波は例えれば湯船に一気に入るとバスタブから水が外に溢れるじゃないですか。まさにそんな感じなんです。最初は海面が僅かに浮き上がっているように見えるだけで、本当に津波がきているのは分からないような感じ。それで堤防を越えてくると『津波だ』って分かるものなのです」。
ただ、津波の先端を走る水(何とかと言っていましたが、ちょっと記憶にありません)の早さは凄まじいそうです。またものを押す力もありそれを受けた家や車はそれだけで動き始めるそうです。話を聞いているとまるで自分がその時に現地にいた様な気分になるくらい実体験された方の話には迫力がありました。
作業から4時間半くらいでほとんど片付いて本日の作業は終了となりました。最後に家の方が出てきて何度も何度も「ありがとう、ありがとう」と感謝してくれました。この瞬間が一番自分にとっても嬉しい時でした。人のためにつくし、感謝される。こんなに素晴らしいことはありません。本当にここに来て現地の方の力になれたことをうれしく思います。明日は実家で田んぼの手伝い。この作業も普段ではできないことだし、存分に動いていきたいと思っています。なお、次回のボランティアは月曜日。今日、仲良くなった方と再度同じ仕事ができたら楽しいだろうなと思っています。
まだ書き足りないのですが、疲れがピークに達しました。もう寝ます。それでは…。
今日は日曜ということもあって、朝からたくさんのボランティアが受け付けをやっていて、テントの外まで人の長い列ができていました。ひととおり受付(住所や連絡先、血液型の記入。保険の加入なでもやってくれます)が終わると、センターの人が「力がいる仕事がいい方~」とか「どこどの仕分けをがいい方~」と声をかけてくれます。
自分は何もスキルがないので、がれきや家財道具を被災宅から運び出す仕事(力がいる仕事)を選び南三陸町の荒砥(あらと)地区ということに派遣されることとなりました。この地区は小さな漁港。数件の民宿や民家がある小さな集落です。しかし、今回の津波でほぼ8割りちかくの民家が大きな被害を受けたところでした。今回行った民家も高台にあるのですが、津波が1階部分を襲い全て水浸しとなったところでした。
この家に派遣されたボランティアの数は全部で10数人。庭に出されている畳や冷蔵庫、台所にあるシンクなどを高台の下に移動して燃えるゴミや燃えないゴミに分別して分ける作業をやりました。水を吸った畳や座布団はとても重く下までの何往復かで汗が噴き出てきました。さらに午後は気温がかなり上昇して厳しさに拍車をかけます。最初はボランティア同士の会話はあまりなかったのですが、一緒に作業しているとあっという間に友達のようになってしゃべれるようになります。いろいろ話をしながらの作業は結構たのしいものでした。
昼食時は1時間の休憩。その時に民家の方が今回の津波のことをいろいろと話してくれました。「11日の地震の前に9日にも地震(最近では前震だと言われいる)があったんです。その時にこの地区にも津波警報が出て避難した人も多かった。でも実際に津波らしい津波はこなくて、みんなが『多分、大丈夫だ』と本震の前に油断してしまったのが大きかったのではないかと思う」。ちなみにこの地区には地震発生後30分で津波が到着。約20数メートルの波が押し寄せて来たそうです。家主は志津川(南三陸町の中心地)の病院にいて津波を体験したそうです。津波についてもこう教えてくれました。「津波は映画などで見るみたいに波が高くなって飲み込むイメージがあると思いますが、本当の津波は例えれば湯船に一気に入るとバスタブから水が外に溢れるじゃないですか。まさにそんな感じなんです。最初は海面が僅かに浮き上がっているように見えるだけで、本当に津波がきているのは分からないような感じ。それで堤防を越えてくると『津波だ』って分かるものなのです」。
ただ、津波の先端を走る水(何とかと言っていましたが、ちょっと記憶にありません)の早さは凄まじいそうです。またものを押す力もありそれを受けた家や車はそれだけで動き始めるそうです。話を聞いているとまるで自分がその時に現地にいた様な気分になるくらい実体験された方の話には迫力がありました。
作業から4時間半くらいでほとんど片付いて本日の作業は終了となりました。最後に家の方が出てきて何度も何度も「ありがとう、ありがとう」と感謝してくれました。この瞬間が一番自分にとっても嬉しい時でした。人のためにつくし、感謝される。こんなに素晴らしいことはありません。本当にここに来て現地の方の力になれたことをうれしく思います。明日は実家で田んぼの手伝い。この作業も普段ではできないことだし、存分に動いていきたいと思っています。なお、次回のボランティアは月曜日。今日、仲良くなった方と再度同じ仕事ができたら楽しいだろうなと思っています。
まだ書き足りないのですが、疲れがピークに達しました。もう寝ます。それでは…。
PR