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久々に5連休という長期休暇がありました。家にいるものさすがに飽きたので車の乗って北上。北関東へと向かいました。約2時間少々走ると栃木県に入り周囲は山に囲まれたのどかな風景となります。今回訪ねたのが日光市にある足尾銅山観光。
足尾銅山といえば日本の近代化に大きく貢献した銅山で、繁栄と共に負の遺産(鉱毒)でも有名です。この施設には以前(確か14~5年前くらいに)行ったことがあるのですが、何せ昔のことでよく覚えていません。今回は時間もあるのでゆっくりと見学することにしました。
坑内に向かうにはトロッコ列車に乗ります。まあ、これは演出なのですが、ガタンゴトンと揺れるトロッコに乗ると何となく自分が鉱夫になった雰囲気にさせてくれます。
この日はとにかく小雪の舞う寒い一日でした。坑内はもっと寒いのではないかと思っていましたが、いざ入ってみると何となく暖かい。ちょっと快適な温度だったのには驚きました。
洞内には時代ごとの銅の採掘現場を再現していて江戸~明治~昭和へと近代化するごとに機械化されていることがよく分かります。大規模な鉱脈がなくなったのと、保安上限界に達したこともあって昭和48年に閉山された足尾銅山。日本の近代化を支えた重要な鉱山のひとつであったことに違いはありません。
足尾銅山観光を見学したあとに車をさらに北上させました。しばらく走るとわたらせ渓谷鐵道(旧足尾線)の終点駅の間藤に行くことができます。
この間藤は以前は多くの関係者と銅山の北の玄関口として賑わったところだったそうですが、今は駅の前には数件の民家らしきものがあるだけで(社宅や工場の跡地らしいものはたくさんあるがほとんどが廃墟みたいな感じ)とても寂しい所でした。日本の公害の原点ともいえる負の遺産である「はげ山」には未だ完全に緑は戻っていませんでした。あちこちで崖くずれなどが起きているようで治山事業が現在なお行われているようです。
今回は日帰りでの小旅行でしたが、足尾の光と影をみていい勉強になりました。興味のある方は宇都宮競輪に旅打ちの際に行ってみてはいかがでしょうか。
足尾銅山といえば日本の近代化に大きく貢献した銅山で、繁栄と共に負の遺産(鉱毒)でも有名です。この施設には以前(確か14~5年前くらいに)行ったことがあるのですが、何せ昔のことでよく覚えていません。今回は時間もあるのでゆっくりと見学することにしました。
坑内に向かうにはトロッコ列車に乗ります。まあ、これは演出なのですが、ガタンゴトンと揺れるトロッコに乗ると何となく自分が鉱夫になった雰囲気にさせてくれます。
この日はとにかく小雪の舞う寒い一日でした。坑内はもっと寒いのではないかと思っていましたが、いざ入ってみると何となく暖かい。ちょっと快適な温度だったのには驚きました。
洞内には時代ごとの銅の採掘現場を再現していて江戸~明治~昭和へと近代化するごとに機械化されていることがよく分かります。大規模な鉱脈がなくなったのと、保安上限界に達したこともあって昭和48年に閉山された足尾銅山。日本の近代化を支えた重要な鉱山のひとつであったことに違いはありません。
足尾銅山観光を見学したあとに車をさらに北上させました。しばらく走るとわたらせ渓谷鐵道(旧足尾線)の終点駅の間藤に行くことができます。
この間藤は以前は多くの関係者と銅山の北の玄関口として賑わったところだったそうですが、今は駅の前には数件の民家らしきものがあるだけで(社宅や工場の跡地らしいものはたくさんあるがほとんどが廃墟みたいな感じ)とても寂しい所でした。日本の公害の原点ともいえる負の遺産である「はげ山」には未だ完全に緑は戻っていませんでした。あちこちで崖くずれなどが起きているようで治山事業が現在なお行われているようです。
今回は日帰りでの小旅行でしたが、足尾の光と影をみていい勉強になりました。興味のある方は宇都宮競輪に旅打ちの際に行ってみてはいかがでしょうか。
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熊本の地獄温泉を出て熊本インターから車を飛ばし続けて鹿児島方面に向かいます。観光2日目の目的地は鹿児島県にある知覧特攻平和会館です。鹿児島インターからさらに有料道路を使って南九州市に入ります。ある程度の町と思っていましたが、知覧町は山や木々に囲まれてとても小さく静かな町でした。その中に武家屋敷群や知覧特攻平和会館があります。
ここは大東亜戦争の末期に沖縄決戦における特攻作戦の出撃基地となった場所です。爆弾を抱えた飛行機で敵艦に突入し搭乗員の命と引き替えに相手に打撃を与えるこの作戦では多くの犠牲者が出ました。この知覧からもたくさんの特攻隊員が飛び立ち多くの若い命が失われました。館内ではその特攻でなくなった方の遺品や遺書などを展示しています。あまりにも展示内容に迫力があるため平常心ではいられなくなります。
ただ、ひらすら目には涙が溢れてきます。この場所には日本人なら一度は行かなければならない所だと思いました。今の日本の繁栄はこの方達の犠牲の上になりたっていること、犠牲になった英霊に感謝する必要があるのだと強く感じました。競輪場のない鹿児島県ですが、近くまで来た際には足を伸ばして見たいところです。
ここは大東亜戦争の末期に沖縄決戦における特攻作戦の出撃基地となった場所です。爆弾を抱えた飛行機で敵艦に突入し搭乗員の命と引き替えに相手に打撃を与えるこの作戦では多くの犠牲者が出ました。この知覧からもたくさんの特攻隊員が飛び立ち多くの若い命が失われました。館内ではその特攻でなくなった方の遺品や遺書などを展示しています。あまりにも展示内容に迫力があるため平常心ではいられなくなります。
ただ、ひらすら目には涙が溢れてきます。この場所には日本人なら一度は行かなければならない所だと思いました。今の日本の繁栄はこの方達の犠牲の上になりたっていること、犠牲になった英霊に感謝する必要があるのだと強く感じました。競輪場のない鹿児島県ですが、近くまで来た際には足を伸ばして見たいところです。
小倉ナイターが終わってから休みがあったので久しぶりに観光することにしました。行き先は3年前に訪れた熊本です。その時は阿蘇山を見て温泉に行ったのですが、その温泉(地獄温泉)がとてもよかったのでチャンスがあれば泊まってみたいとずっと思っていました。
鄙びた感じの建物は温泉旅情をかき立てます。温泉は言わずと知れたにごり湯の硫黄泉。ただ、ここはちょっと普通の温泉とは違います。なにが違うのかというと、普通の温泉は源泉から湯を引っ張ってきて湯船に流し込んでいますが、ここではお湯が底から湧き出ているんです。
温泉に入っていると下からポコポコと気泡と共に新鮮なお湯が注がれています。温度も熱すぎずぬるすぎずの心地よい温泉です。ガイドブックにもよく載っているこの湯はお勧めです。
気になる夕食は食事処でとることに。出てきたのは鴨・鹿・いのししなどの肉。これを炭で熱した鉄板で焼いて頂きます。
かなりの量があり食べ終わる頃にはお腹一杯になるほどです。期待通りの宿で湯も食も楽しめるとてもいいお宿です。熊本・阿蘇に観光に行く機会がありましたら是非訪れることをお勧めします。
鄙びた感じの建物は温泉旅情をかき立てます。温泉は言わずと知れたにごり湯の硫黄泉。ただ、ここはちょっと普通の温泉とは違います。なにが違うのかというと、普通の温泉は源泉から湯を引っ張ってきて湯船に流し込んでいますが、ここではお湯が底から湧き出ているんです。
温泉に入っていると下からポコポコと気泡と共に新鮮なお湯が注がれています。温度も熱すぎずぬるすぎずの心地よい温泉です。ガイドブックにもよく載っているこの湯はお勧めです。
気になる夕食は食事処でとることに。出てきたのは鴨・鹿・いのししなどの肉。これを炭で熱した鉄板で焼いて頂きます。
かなりの量があり食べ終わる頃にはお腹一杯になるほどです。期待通りの宿で湯も食も楽しめるとてもいいお宿です。熊本・阿蘇に観光に行く機会がありましたら是非訪れることをお勧めします。