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先日、わたらせ渓谷鐵道がある群馬県の桐生へ行ってきました。このわたらせ渓谷鐵道は以前足尾線と言われていて、鉄ちゃん時代は好きな路線でした。車に乗るようになってからは、車で足尾方面に行くことが多くなったので、この線には乗らなくなりました。少し前からトロッコ列車が運行されているということは知っていましたが、なかなか行く機会がなく久々の乗車となりました。
トロッコ列車に乗るつもりでしたが、紅葉の時期でかなりの混雑。やむを得ず普通列車に乗ることにしました、普通列車は1両のディーゼル車両でトロッコに乗れなかった人がたくさん乗車していて車内は想像した以上の混雑状態。(座れるには座れましたが…)車窓から眺める景色は出発駅付近ではとくに他と変わらないのですが、暫く走ると素晴らしい紅葉が見えてきます。トロッコと言えば黒部渓谷鉄道を思い浮かべますが、関東にもこんないい観光スポットがあるものです。(ただ、駅周辺は一部を除いてあまり整備されていません)。
トロッコ列車に乗るつもりでしたが、紅葉の時期でかなりの混雑。やむを得ず普通列車に乗ることにしました、普通列車は1両のディーゼル車両でトロッコに乗れなかった人がたくさん乗車していて車内は想像した以上の混雑状態。(座れるには座れましたが…)車窓から眺める景色は出発駅付近ではとくに他と変わらないのですが、暫く走ると素晴らしい紅葉が見えてきます。トロッコと言えば黒部渓谷鉄道を思い浮かべますが、関東にもこんないい観光スポットがあるものです。(ただ、駅周辺は一部を除いてあまり整備されていません)。
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つい先日、埼玉県の奥秩父方面に行く機会があって埼玉県の県境で最果てにある三峯神社に行ってきました。この日はさいたま市でも気温が35度近くまで上がり桁違いの暑さとなりましたが、この三峯神社は標高約1000メートルでかなり涼しい。温度にして28度少々でした(それでも暑いが日陰に入っていれば十分涼しい)。ここへの交通手段は車(もちろん歩きもありますが)。三峯口ということろまでは電車が来ていますが、そこから先は路線バスか自家用車で向かうしかありません。秩父市内からは信号がほとんどなく、止まることなく走り続けて約1時間です。同じ埼玉県といっても自分が住んでいる大宮とは何もかもが違います。
神社はとても立派なもの。よくこんな山奥に建てられたものだと本当に感心してしまいます。昔の参拝者はここまで歩いてきたのかと思うと(今もいるのかもしれませんが)本当に凄いなって思います。さて、神社の横には宿泊施設もあります。ここは参拝者や神社関係者が宿泊する施設なのだそうですが、一般の方も泊まることができるそうです(一泊1万円ちょっとだったと思います)。温泉(下の町の温泉スタンドからお湯をもって来ている)に入れるということでしたので、500円を支払い入浴。なめらかな泉質のお湯で疲れが一気に飛びました。日帰りでしたが大変満足できる小旅行となりました。
神社はとても立派なもの。よくこんな山奥に建てられたものだと本当に感心してしまいます。昔の参拝者はここまで歩いてきたのかと思うと(今もいるのかもしれませんが)本当に凄いなって思います。さて、神社の横には宿泊施設もあります。ここは参拝者や神社関係者が宿泊する施設なのだそうですが、一般の方も泊まることができるそうです(一泊1万円ちょっとだったと思います)。温泉(下の町の温泉スタンドからお湯をもって来ている)に入れるということでしたので、500円を支払い入浴。なめらかな泉質のお湯で疲れが一気に飛びました。日帰りでしたが大変満足できる小旅行となりました。
東尋坊の観光を終えてその後に永平寺へ移動。位置的には結構離れている感じで結構時間がかかったような気がします。この永平寺にも旅行会社時代には来ていますが、あまり覚えていないのが実際のところ。ここは特に印象が薄く(東尋坊よりも)、お寺に入っても初めて来たかのよう感じでした。まず永平寺に関しては以下の様な説明がパンフに書かれていました。今から約750年前の寛元2年(1244)道元禅師によって開創された「日本曹洞宗」の第一道場で出家参禅の道場です。境内は約10万坪(33万平米)、樹齢約700年といわれる老杉に囲まれた静寂なたたずまいの霊域に、七堂伽藍を中心に70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいます。永平寺の開祖道元禅師は、鎌倉時代の正治2年(1200)京都に誕生され、父は鎌倉幕府の左大臣久我道親、母は藤原基房の娘といわれています。8歳で母の他界に逢い世の無常を観じて比延山横川に出家されました。その後、京都の建仁寺に入られ、24歳の春、師明全とともに中国に渡り天童山の如浄禅師について修行し、悟りを開かれて釈迦牟尼仏より51代目の法灯を継ぎ、28歳のときに帰朝されました。帰朝後京都の建仁寺に入られ、その後宇治の興聖寺を開創されました。
寛元元年(1243)鎌倉幕府の六波羅探題波多野義重公のすすめにより、越前国志比の庄吉峰寺に弟子懐弉禅師(永平寺2世)等とともに移られました。
翌2年、大仏寺を建立、これを永平寺と改称し、のちに山号を吉祥山に改めて、ここに真実の仏弟子を育てる道場が開かれました。
以来、御開山道元禅師が説き示された禅の仏法は脈々と相承護持され、今では全国に1万5千の末寺、檀信徒は800万人といわれております。
お寺の中は見学することができます。入場料は6~700円くらい? 常に左側通行を心掛けて、修行僧には声を掛けない、写真を撮らないなど様々なお約束がありました。お寺の中はとにかくきれい。ゴミなどはまったくありませんでした。建物自体が大変きれいに大事に使われている印象を受けました。福井を訪れる際は一度は見てみたい所ですね。
寛元元年(1243)鎌倉幕府の六波羅探題波多野義重公のすすめにより、越前国志比の庄吉峰寺に弟子懐弉禅師(永平寺2世)等とともに移られました。
翌2年、大仏寺を建立、これを永平寺と改称し、のちに山号を吉祥山に改めて、ここに真実の仏弟子を育てる道場が開かれました。
以来、御開山道元禅師が説き示された禅の仏法は脈々と相承護持され、今では全国に1万5千の末寺、檀信徒は800万人といわれております。
お寺の中は見学することができます。入場料は6~700円くらい? 常に左側通行を心掛けて、修行僧には声を掛けない、写真を撮らないなど様々なお約束がありました。お寺の中はとにかくきれい。ゴミなどはまったくありませんでした。建物自体が大変きれいに大事に使われている印象を受けました。福井を訪れる際は一度は見てみたい所ですね。