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山陰を観光した後は徳山に移動してそこで1泊。休日の最終日は山口県周南市の大津島を訪れることにしました。ここへはやはり防府競輪が一番近いのですが、記念等で訪れても移動の時間などで満足に見ることができません。時間の都合がつく今回に必ず行こうと前々から堅く思っていました。
ここ数日は天気にも恵まれて傘いらずの旅ができていましたが、3日目は小雨が降り気温も低くとても寒い一日でした。ホテルを出発して荷物を駅に置いて徳山港に向かいます。徳山港までは新幹線口から歩いて3~4分と目の前。さっそく切符を買って船に乗り込みます。たくさんの人を予想していたのですが乗員は自分を含めてせいぜい5人くらい。結構大きな船だっただけに何とも寂しい限りです。徳山港を出発して40分くらいするとようやく大津島の馬島港が見えてきます。

島に着くとまず目に入ったのが『回天の島』と書かれた看板です。これは船からでも見えるとても大きなもの。この島が回天との結びつきがいかに強いのかが分かります。その他の印象と言ったら港の前にも関わらず自動販売機や食堂などはなく(海水浴シーズンではやっているようですが)ただ民家が少しある程度のもの。出迎えてくれたのは人ではなくこの島に住んでいる猫一匹だけでした(笑)。

この島は戦時中、海軍の特攻兵器『回天』の訓練場所でした。ここで訓練をうけて各地に出撃に行ったわけです。昔の島の地図を見ると今よりもたくさんの建物(倉庫や兵舎など)がありました。現在は建物自体はなくなっていますが、一部の壁や階段、格納庫などは当時のまま残っています。それらを見ると、以前は巨大な軍事基地であったことが想像できます。

戦時中の古い階段や通路を見て歩いているとようやく回天記念館に到着しました。ここには人間魚雷『回天』にまつわる遺品、写真、模型などの資料を展示しています。なおビデオなども上映されており、どういった経緯で特攻兵器・回天が開発され使われていったのかが分かりやすく説明されています。

以前、鹿児島県の知覧にある『特攻平和会館』に行ったことがあるのですがここと同じく特攻隊員の遺書や写真などを展示しています。それを見ていると涙が溢れてきます。今のこの平和な時代を生きていられるのはこの人達のお陰であると思いました。戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて認識させてくれる場所でした。

さて、記念館を後にして実際に回天の発射基地が現存しているとのことで島の反対側に行ってみることにしました。途中から海岸沿いをくり抜いて作ったトンネルがありそこを通っていきます。歩いて入って行くと中は少々薄暗く不気味(一人で入っていったのもあるのだけど・・・)。波の音と自分の歩く音が壁に反響して何とも言えない異様な感じさえしました。トンネルの通路の真ん中には当時レールが敷かれていて回天を発射基地まで引いていたそうです。今はレール自体が取り除かれておりコンクリートで埋められていますが、明らかにコンクリートの色が違うので線路が引かれていたのが分かります。さらにトンネルの途中には爆撃を受けたときの地下司令部などもあり、そこにはパネルで当時の様子などが展示されていました。

薄暗いトンネルの先からようやく外の明かりが見えてきました。抜け出すと目の前にはゴツゴツした岩肌が剥き出しになった海岸に来ます。その景色のよさに一瞬ビックリします。しかしそのヨコには石碑が建っておりここが観光名所ではないことがすぐに分かります。どうやらその先にある建物が回天の発射基地の様です。

近づいて撮影してみました。コンクリートが剥き出しになっており風雨にさらされどことなく色あせて不気味な感じ。塗装や飾りっ気など一切なく無機質な建物でした。ここで回天の訓練が行われたのかと思うと何となくゾッとしました。金網に閉ざされていますが今でも回天を海中に下ろした穴が残っています。強風と荒波でものすごい音が響き渡っていました。何とも寂しい場所だったので長居はせず引き返すことにしました。

ここ数日は天気にも恵まれて傘いらずの旅ができていましたが、3日目は小雨が降り気温も低くとても寒い一日でした。ホテルを出発して荷物を駅に置いて徳山港に向かいます。徳山港までは新幹線口から歩いて3~4分と目の前。さっそく切符を買って船に乗り込みます。たくさんの人を予想していたのですが乗員は自分を含めてせいぜい5人くらい。結構大きな船だっただけに何とも寂しい限りです。徳山港を出発して40分くらいするとようやく大津島の馬島港が見えてきます。
島に着くとまず目に入ったのが『回天の島』と書かれた看板です。これは船からでも見えるとても大きなもの。この島が回天との結びつきがいかに強いのかが分かります。その他の印象と言ったら港の前にも関わらず自動販売機や食堂などはなく(海水浴シーズンではやっているようですが)ただ民家が少しある程度のもの。出迎えてくれたのは人ではなくこの島に住んでいる猫一匹だけでした(笑)。
この島は戦時中、海軍の特攻兵器『回天』の訓練場所でした。ここで訓練をうけて各地に出撃に行ったわけです。昔の島の地図を見ると今よりもたくさんの建物(倉庫や兵舎など)がありました。現在は建物自体はなくなっていますが、一部の壁や階段、格納庫などは当時のまま残っています。それらを見ると、以前は巨大な軍事基地であったことが想像できます。
戦時中の古い階段や通路を見て歩いているとようやく回天記念館に到着しました。ここには人間魚雷『回天』にまつわる遺品、写真、模型などの資料を展示しています。なおビデオなども上映されており、どういった経緯で特攻兵器・回天が開発され使われていったのかが分かりやすく説明されています。
以前、鹿児島県の知覧にある『特攻平和会館』に行ったことがあるのですがここと同じく特攻隊員の遺書や写真などを展示しています。それを見ていると涙が溢れてきます。今のこの平和な時代を生きていられるのはこの人達のお陰であると思いました。戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて認識させてくれる場所でした。
さて、記念館を後にして実際に回天の発射基地が現存しているとのことで島の反対側に行ってみることにしました。途中から海岸沿いをくり抜いて作ったトンネルがありそこを通っていきます。歩いて入って行くと中は少々薄暗く不気味(一人で入っていったのもあるのだけど・・・)。波の音と自分の歩く音が壁に反響して何とも言えない異様な感じさえしました。トンネルの通路の真ん中には当時レールが敷かれていて回天を発射基地まで引いていたそうです。今はレール自体が取り除かれておりコンクリートで埋められていますが、明らかにコンクリートの色が違うので線路が引かれていたのが分かります。さらにトンネルの途中には爆撃を受けたときの地下司令部などもあり、そこにはパネルで当時の様子などが展示されていました。
薄暗いトンネルの先からようやく外の明かりが見えてきました。抜け出すと目の前にはゴツゴツした岩肌が剥き出しになった海岸に来ます。その景色のよさに一瞬ビックリします。しかしそのヨコには石碑が建っておりここが観光名所ではないことがすぐに分かります。どうやらその先にある建物が回天の発射基地の様です。
近づいて撮影してみました。コンクリートが剥き出しになっており風雨にさらされどことなく色あせて不気味な感じ。塗装や飾りっ気など一切なく無機質な建物でした。ここで回天の訓練が行われたのかと思うと何となくゾッとしました。金網に閉ざされていますが今でも回天を海中に下ろした穴が残っています。強風と荒波でものすごい音が響き渡っていました。何とも寂しい場所だったので長居はせず引き返すことにしました。
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本日は山陰の旅の2日目です。初日泊まった温泉津温泉では最高のお湯に満足。周りには何もなく静かな温泉地でしたが実に良質のお湯でした。また機会があったら行きたいと思いました。今日は石見銀山を観光して出雲大社まで足を伸ばす予定でした。
前日の天気予報では曇/雪となっており天候が気になるところでしたが、なんとか雪には降られなかったのでラッキーでした。最初に訪れたのが石見銀山です。世界遺産に登録されたとあってたくさんの人が訪れるのではと思っていましたが思ったより人の数が少ない・・・。その理由は「公開されている間歩(読みは“まぶ”と言い、いわゆる坑道のこと)の途中にある道で落石があり今後の観光に支障がないようにするとのこと」で公開が中止となっていました。せっかく来たのに残念としか言えませんでした・・・。とりあえず、駐車場に車を止めて近くにある資料館を見学。鉱山の歴史から採掘方法、鉱石の展示などが一目で分かるようになっています。

また鉱山の町であった大森の町並みはまた独特な雰囲気を持っていました。両側に家々が並び、温泉津温泉の様に宿場町にいるような感じがしました。ここで商家であった『熊谷家住宅(重要文化財)』を見学しました。実はここも一部ではありますが修復中とあって全てを見学することはできませんでした。その代わり?なのかは分かりませんが普段は入館料がかかるのですが本日は無料で公開しているとのこと。さっそく中に入れてもらい埼玉から来たことを係の人に話すと事情(間歩も公開停止、ここも修復中)を察してくれたのか?事細かに館内を案内してくれました。おかげでとても楽しく会話しながら見学できました。今回は一番期待していた間歩が観られずに正直、残念ではあったのですが思わぬところで地元の人との交流が持てたのでよかったと思います。まあ、そういった経験も旅ならではのこと。要はまた再びここを訪れればいいだけですから。

さて、石見銀山を後にして車は山陰の海岸沿いをひた走り出雲市に向かいます。こちらでは渋滞なるものは存在しません。スイスイ走って約1時間ほどで出雲市内に到着。さっそく出雲大社にお参り。普通、神社で参拝するときは2拝2拍手1拝ですが、ここ出雲大社での参拝は2拝4拍手1拝です。間違わないようにキッチリやりました(笑)。お賽銭ですか?ここは縁結びの御利益があると聞いていたので、二重にご縁があるようにとの思いを込めて25円を投げ入れました。

本殿での参拝を終えた後、念には念を入れてお守りも購入(800円)しておきました(笑)。その後観光ガイドの本に載っている社殿を見てきました。何と言っても特徴的なのは大きなしめ縄です。写真で見る限りは大きいというのは分かるのですが一体どのくらい大きいのかは実際見てみないと分からないものです。初めて見ましたがその大きさにビックリ!やっぱりスケールが違います。

しめ縄を見た2日目の締めは名物の出雲そばでしょう!そばはこの地方の郷土料理で昔から食べられているそうです。特に三段の丸い漆器にそばを盛って出す割子(わりご)そばがもっとも有名。これに贅沢に天ぷらを付けてもらいました。締めがよければ全てよし!無事故無違反で広島まで帰ることができました。
さて明日の予定です。本日宿泊している徳山駅からすぐ行ったところに徳山港があります。ここから船に乗って大津島に行きます。そこで回天記念館とそれに関係する遺物を見てきます。10日から小倉ナイターが始まるので早めに小倉に戻り前検に備えていこうと思います。では本日はこの辺で失礼します。
前日の天気予報では曇/雪となっており天候が気になるところでしたが、なんとか雪には降られなかったのでラッキーでした。最初に訪れたのが石見銀山です。世界遺産に登録されたとあってたくさんの人が訪れるのではと思っていましたが思ったより人の数が少ない・・・。その理由は「公開されている間歩(読みは“まぶ”と言い、いわゆる坑道のこと)の途中にある道で落石があり今後の観光に支障がないようにするとのこと」で公開が中止となっていました。せっかく来たのに残念としか言えませんでした・・・。とりあえず、駐車場に車を止めて近くにある資料館を見学。鉱山の歴史から採掘方法、鉱石の展示などが一目で分かるようになっています。
また鉱山の町であった大森の町並みはまた独特な雰囲気を持っていました。両側に家々が並び、温泉津温泉の様に宿場町にいるような感じがしました。ここで商家であった『熊谷家住宅(重要文化財)』を見学しました。実はここも一部ではありますが修復中とあって全てを見学することはできませんでした。その代わり?なのかは分かりませんが普段は入館料がかかるのですが本日は無料で公開しているとのこと。さっそく中に入れてもらい埼玉から来たことを係の人に話すと事情(間歩も公開停止、ここも修復中)を察してくれたのか?事細かに館内を案内してくれました。おかげでとても楽しく会話しながら見学できました。今回は一番期待していた間歩が観られずに正直、残念ではあったのですが思わぬところで地元の人との交流が持てたのでよかったと思います。まあ、そういった経験も旅ならではのこと。要はまた再びここを訪れればいいだけですから。
さて、石見銀山を後にして車は山陰の海岸沿いをひた走り出雲市に向かいます。こちらでは渋滞なるものは存在しません。スイスイ走って約1時間ほどで出雲市内に到着。さっそく出雲大社にお参り。普通、神社で参拝するときは2拝2拍手1拝ですが、ここ出雲大社での参拝は2拝4拍手1拝です。間違わないようにキッチリやりました(笑)。お賽銭ですか?ここは縁結びの御利益があると聞いていたので、二重にご縁があるようにとの思いを込めて25円を投げ入れました。
本殿での参拝を終えた後、念には念を入れてお守りも購入(800円)しておきました(笑)。その後観光ガイドの本に載っている社殿を見てきました。何と言っても特徴的なのは大きなしめ縄です。写真で見る限りは大きいというのは分かるのですが一体どのくらい大きいのかは実際見てみないと分からないものです。初めて見ましたがその大きさにビックリ!やっぱりスケールが違います。
しめ縄を見た2日目の締めは名物の出雲そばでしょう!そばはこの地方の郷土料理で昔から食べられているそうです。特に三段の丸い漆器にそばを盛って出す割子(わりご)そばがもっとも有名。これに贅沢に天ぷらを付けてもらいました。締めがよければ全てよし!無事故無違反で広島まで帰ることができました。
さて明日の予定です。本日宿泊している徳山駅からすぐ行ったところに徳山港があります。ここから船に乗って大津島に行きます。そこで回天記念館とそれに関係する遺物を見てきます。10日から小倉ナイターが始まるので早めに小倉に戻り前検に備えていこうと思います。では本日はこの辺で失礼します。
只今、九州遠征中ですが次の小倉ナイターまでは中3日ほど空きます。せっかく遠征して時間があるのならば普段いけない場所に行ってみようと思い3日間の小旅行を企画しました。それは競輪場のないところへの旅です。まずは世界遺産に指定された石見銀山を見にいこうと思いました。ただ北九州から島根県の大田市まではとんでもなく遠い道のり。車では到達が困難な場所です。列車の旅もいいのですが交通の便を考えると車が理想。そこで小倉から広島まで新幹線で行きそこからレンタカーで中国山地を通って石見銀山を目指すことに。まず初日は石見銀山に近い温泉津(ゆのつ)温泉まで行き翌日見学することにしました。
初日となった今朝の寒さは厳しいものでしたが、快晴となり絶好の旅行日和となりました。小倉駅を10:17分に出発する新幹線レールスターに乗って広島に向かいます。電車は時間通りに到着して順調であったのですが、レンタカー会社の場所が分からなくなってしまい広島の街を1時間ほど放浪してしまうアクシデント!何とか地元の人達に助けを借りて昼過ぎに無事に出発。広島市内は車で混雑していたのですが一歩郊外にでると車の数は激減してすいすい走ります。今回は時間があったので高速道路は一切使いませんでした。
中国山地に向かうにつれて標高が高くなり周りにうっすら雪が見え始めます。その雪が県境近く(広島と島根)になると道路にまで積もるありさま。スノータイヤだったので何とか走れましたがノーマルタイヤだとかなりやばい状態でした。やはり山陰の冬は雪が多いと言うことを実感しました。さて広島を出発してから3時間ちょっとで島根県の大田市に到着。目的地の温泉津町は大田市内にあります。ここは初めて訪れた土地ですが日本海を臨むとても静かな港町でした。
温泉津港から山側に伸びる温泉街は、賑やかな歓楽街などが見られず、鄙びた日本旅館が両側に立地する静かな街並み。この古風な温泉街は2004年(平成16年)7月、温泉街としては初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました(港町としての選定でしたが、後に温泉町という項目も設けられた)。昔の宿場町の様な感じで、とても雰囲気がいいところでした。
中国山地に向かうにつれて標高が高くなり周りにうっすら雪が見え始めます。その雪が県境近く(広島と島根)になると道路にまで積もるありさま。スノータイヤだったので何とか走れましたがノーマルタイヤだとかなりやばい状態でした。やはり山陰の冬は雪が多いと言うことを実感しました。さて広島を出発してから3時間ちょっとで島根県の大田市に到着。目的地の温泉津町は大田市内にあります。ここは初めて訪れた土地ですが日本海を臨むとても静かな港町でした。
ここには温泉が湧いています。温泉街の中心にあるのが温泉津温泉の元湯と薬師湯です。

元湯の方が源泉の温度が高く熱い湯が注がれているようです。一方、薬師湯は43度近くで比較的入りやすい温度となっています。どちらも源泉掛け流しで素晴らしい温泉です。泉質は含土類食塩泉で49.9℃。湧出時は透明のようですが湯船では淡茶褐色となります。入浴のほかに飲泉も効果があります。味はやや苦渋く鉄分を強く含んでいる感じです。さらに1957年には九州大学温泉治療学研究所によって、原爆症に対する効能が報告され、その温泉効果は確かな様です。

元湯の方が源泉の温度が高く熱い湯が注がれているようです。一方、薬師湯は43度近くで比較的入りやすい温度となっています。どちらも源泉掛け流しで素晴らしい温泉です。泉質は含土類食塩泉で49.9℃。湧出時は透明のようですが湯船では淡茶褐色となります。入浴のほかに飲泉も効果があります。味はやや苦渋く鉄分を強く含んでいる感じです。さらに1957年には九州大学温泉治療学研究所によって、原爆症に対する効能が報告され、その温泉効果は確かな様です。
温泉津に到着したのは15時過ぎで日が沈むまで時間がありました。宿の近くにある港に行ってみました。ここ沖泊(おきどまり)は、深い入り江と水深にめぐまれており早くから天然の良港として知られていたところです。石見銀山で取れた銀の積み出しや銀山での消費物資の陸揚げなど、銀山の外港として重要な役割を担っていました。入り江には自然の岩盤をくり抜くなどして作った船を係留(けいりゅう)するための鼻ぐり岩が数多く残っており、当時大変な賑わいがあったことを今に伝えています。